ネットで検索すると「専門学校に行く意味は無い」という記事が結構ありました。
実際僕もデザイン系の専門学校を卒業して数年はそのように思っていました。
しかし今になって、あの時間は無駄では無かったなと思うことがあります。
この記事では実際に専門学校を卒業した僕が専門学校に行くことの意味を書いていきます。
前情報として筆者は一般職に就いています。そこを前提に読んでいただけるとありがたいです。
この記事の目次(クリックでジャンプ)
専門学校は行く意味がないのか
専門知識は独学で学ぶことができる

今や学習コンテンツが充実してきた時代です。動画やテキストが充実、オンラインでの講習もあるため自宅で気軽に学ぶことが出来ます。
僕も会社に行きながら勉強したいことは隙間時間を使い学習しています。
必ずしも学校に行かないと学べないという時代は終わりつつあります。
高い学費
学校に通うということは学費を払うということ。講師の人件費、設備代、教材代、諸経費など専門学校に通うということは沢山お金がかかります。
学費を払うくらいなら働きながら独学した方が良い、そう思う人も少なくありません。
専門学校に行って感じたメリット
学習への環境が揃っている

高い学費を払うということはそれ相応の環境で学習することが出来ます。
それぞれの分野の講師、パソコンやソフトといった機材、資格等の専門的な教科書などこれ以上無い環境で学習できるはずです。
ちなみに僕の通った学校ではMacbookが支給されて(正確には購入)常にパソコンに触れる環境が整っていました。おかげで今でもMacユーザーを継続中です。
カリキュラムに沿った学習

授業のカリキュラムが決められていてそれに沿って学習を進めることが出来ます。ここが独学との大きな違いです。
当たり前のことですが、他の人が社会人として働いている間に専門的な学びを進めることが出来ます。その人たちが隙間時間で計画して勉強していくのに対して学校が組んだ最適とも言える学習カリキュラムに沿って着実に知識を身につけることが出来ます。
カリキュラムにはデメリットもある
カリキュラムに沿えば段階的に知識は身に付きます。しかし他の人と足並みを揃えて学習していくことでどんなに自分が先に進んでいても他の人を待たなくちゃ行けない場合があります。
また授業が苦手だという人もいることでしょう。自分は理解しているのに同じことの繰り返しだと感じる人からすれば非効率な学習スタイルだと感じます。
得たものは知識だけではない
社会で生きるスキルが身に付く

どの分野を専攻するかにもよるのですが、専門知識以外の学習もします。
僕のいたデザイン系の学校だと
- アイデア出しのための知識(マインドマップの活用)
- プレゼンテーションとそのための資料作り
- 課外活動を通して社会を知る
など社会に出てから役立つ内容です。
就職活動と売り出し

知識を身につけてゴールではありません。就職してゴールなのです。これは学生側の目標でもあり学校としてもお金をもらっている以上進路は決めてもらいたいと考えているはずです。
そのため就職活動と自分の売り出しの過程は必ず通る事になります。
就職活動であれば
- 筆記や面接の試験対策
- 志望先を探す
デザイン系の学生はそれにプラスで
- ポートフォリオ等の作品を通してアピール
- 資格や検定の取得で実績をアピール
これらの過程を踏む事になります。
専門職には就けるのか
必ずしもその道には行けない
残酷なことにどんなに一生懸命勉強したからといって必ずしも希望する道には進むことが出来ません。
分野によって難易度が高かったり自分の力不足、その時の求人状況で諦めなければいけない時があるかもしれません。
学びは大きな財産である

自分の行きたかった道に進めなかった…今まで学んだことは無駄だったんじゃないか、そう思う人もいることでしょう
しかしそこに至るまでの過程に意味があるのです。
その道を目指すまでの道のりとその道中で得た学び、経験が卒業後の生きる糧となるのです。
学生の間では叶わなかった道でもこれまでの過程と卒業後の努力次第で再びその道へ挑戦できる時が来るかもしれないのです。
無駄になるかはあなた次第
環境を言い訳にはできない
先述した通り学んできた過程は無駄にはなりません。
しかしそれは学ぶ姿勢を大きく崩さず取り組んできた人にこそ言えることです。
専門学校は学習する上での最高の環境が揃っています。その環境があるからこそ学ぶ姿勢を崩してはいけません。
もし専門学校に行って無駄だったと感じている人はその環境に甘えて自分で学ぼうとしていなかっただけかもしれません。
卒業後でも学べる

学んできた過程を活かして独学をして理解を深めていくこともできます。
また在学中にあまり興味がなかったことでも今になって勉強したくなることもあります。
在学中に触れてきたものは後に選択肢として視野を広げていくことでしょう。
この記事を読んでくれた人が何かを学びたい時にその手段として参考にしていただけるとありがたいです。